スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

10/17のツイートまとめ

946kyouiku

加盟団体のテーゼを第一にすべきか、釧路の子どもたちのための対策を第一にすべきか。もちろん前者が大事だという方たちもいらっしゃるだろうからとやかくは言いませんが、わが会は、後者です。他人の批判はしませんが、ここをはずしている御仁には、それなりにお答えします。
10-17 01:04

誤解を避けるため言うべきだと思うが、釧路の教育を考える会は反○団体ではない。ただし、教育現場の、先生ではなく子どもたちを守る方法を考える会であるので、教条的な主張とは、相当厳しく対立することもあると思います。たとえ日●組であろうと会の主張に全面的に賛同すれば、共同もありあえます。
10-17 00:58

つまり、学んでいる子たちが大事なのではなく、教える教職員(のうちの組織に入っているひと)だけが大事なわけ。
10-17 00:55

つまり、学び直しの支援活動を是認するには、学び直しを必要とする事実を事実と見なさなければならない。その事実とは、今は、不登校などの学校現場での教育力の減衰。もしも学び直し支援活動を助けるとしたら、この事実を認める必要がある。支持者の多くが教職にいる組織では、それはできまい。
10-17 00:52

ものすごく厳しいことを言う。本来、政治的に左の勢力は、公教育を途中下車したひとたちを守る立場に立つべきだった。ところが、そうすると、教育現場の支持者たちの労働を強化(社会的には違う言い方)することになるので、触れなかった。これ、あんまりじゃないだろうか。
10-17 00:47

釧路の教育を考える会は、形式卒業者も当然ながら視野に含めて、この地域の教育問題を考えている。学力問題が存在しないという人も、あるという人も、この問題を考えての発言ができるのだろうか。さほど研究していないから知らなかった、という論者が多いのではないだろうか。
10-17 00:44

教育について熱弁をふるう先生も多い。だが、不登校児に対して、どのようにあなたは取り組んできたのかを尋ねたら、沈黙が多い(はず)。本物は何人かいるが、少ない。悲しいことに国に対して物申す意欲あふれる「先生」たちは、形式卒業者には無関心のようだ。
10-17 00:40

たまたま子どもらが育ってくれたのか、曲がるところを教育効果が食い止めたのか、というのは重要な違いである。都合のよい論理展開に対しては、この認識をもって向かうべき。ただしいずれも「学校を途中下車」した子たちには言及できていない。そこの理論も聞いてみたい。言えるなら。
10-17 00:38

#kyouiku 論理能力(ほぼイコール法律文の解釈能力)と、ITリテラシーにおいて課題が多いのが、教育現場(行政機関含めて)の業である。子どもたちはそれでも育つ、というのは、「国滅びて山河あり」の論理に近い。責任をもとう。
10-17 00:36

つまり、学校教育課程でどんなに「社会はこうあるべきだ」と現場の(少々偏った)教師が叫んでも、社会はそのようにできていない。社会の真の姿を見て、それに備えて愛すべき教え子をどのように育てるか、それが心構えとして大事だろう。指導要領がなんと言おうと。
10-17 00:30

「ルールが技を決定する」とは三一書房に掲載された某・唯物論弁証法に基づいた武道論の本の中での一節である。現社会を構成する人物を育てるのが教育だとすれば(教育基本法より)、まず教育機関(教員だけでなく、県レベルでの事務官)が社会を学ぶべき。
10-17 00:27

コメントの投稿

非公開コメント

全記事表示リンク

全ての記事を表示する

内部リンク
本サイトと一体的に運用されているサイトへのリンクです
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。